パラレル述ベル。

取り留めのない事象を、徒然なるままに。

おもいではおもい。

 

部屋に居るのにいつの間にかスマートフォンのバッテリーが減っていて、急いで充電を始める、述べた。です。

 

ゲームばかりやっているとイケないですね。それでいてYouTubeを見始めるのだから、どうしようもない。

 

YouTubeのあなたへのおすすめや関連動画はほんと優秀。

 

 

というのは置いといて、充電の最中ふと以前使っていたスマートフォンの写真フォルダを覗いてしまったのですよ。

 

 

 

いけませんね、アレは。

 

 

ツライ。

 

 

ツラスギル。

 

 

何がツライって、自分の救いようのない人間性やら不甲斐なさ、ああだこうだのタラレバ論を展開させてどんぶらこっこと後悔が押し寄せる。

 

楽しかった日々や時間が閉じ込められていて、見れば見るほど今と比べてしまう。タイムマシンにでも乗らなきゃ戻れやしないのに。

 

もっとマトモに生きていれば、もしかしたら今頃…なんて、バカみたい。

 

 

 

テメェが選んだんだろ。

 

 

 

はい。そうです。

 

自分で選べたんです。

 

なんと言われようと、というか半ば逃避行と大差無いのですが、こういう風に生きたいって選んだんです。

 

自己責任です。それはとってもとっても重いんです。

 

皆と足並み揃えて進む事だってできました。むしろ責任という点では幾分楽だったのかも知れません。だって周りのせいにできるから。転嫁できるから。

 

 

 

それはできませんでした。

 

運良く自分は選ぶ自由がありました。それは誰しも持っているものであり、簡単には行使できないものでもあります。社会で生きるとはそういう事だと認識しています。きっと自分には想像もつかない環境であれば、そんなことを微塵も考える余裕なんてないのかもしれません。

 

しかし自分にはありました。有り余る程にありました。それだけで幸せというものでしょうか。

 

所謂敷かれたレールに乗るという単純明快な道を、自ら踏み外せたのです。

 

其れ即ち、テメェがくたばろうがテメェがワリぃ、訳です。

 

現代社会、こと日本においては道端でおっ死んじまうことはそうそう無いでしょうし、自分の境遇なら両親や親戚が助け舟を出してくれる可能性が随分高いものです。時たまお米を送ってくださいますし。アマチャンガ。

 

そこに甘えずぬるま湯に浸からず、どんな不幸や災難が降りかかろうと、傘を持ってこなかった自分の不用意さに涙で濡れましょうとも。どんなに惨めでみすぼらしい姿に成り果てても、ドレスコードに則っていなかった自分の無知を恨みましょうとも。

 

起こるは選択の代償。軽くありません。

 

でも誰かのせいにしたり、不自由を嘆いたりするくらいなら、全裸びしょ濡れドンとこい。綺麗事を並べて悦に浸っているのかと言われようとも、聖人君子を気取っているのかと嘲笑われようとも、全部呑み込んで野垂れ死んでやる。心臓が息の根を止めるまで真実に向かってひた走る。SPEC大好き。

 

結局はレールなんてものがあるわけもなく、そこには無限に大地が広がっていただけで、どの方向へ歩いていくのかは各々が決めているのであって、その先でスーツを着ていようがパンツ一丁だろうがテメェのケツはテメェで拭け、自業自得だろって話です。

 

自業自得という言葉は悪く使われることばかりですが、字面を見れば良くも悪くもですよね。調べてみたら、良いことも悪いことも含め自分の行い全てを指して言えるようです。良き言葉です。

 

 

 

自業自得に生きていく。

今からはこれでいきます。

 

 

 

誰だろうと良くも悪くもできんだから、そっからはテメェ次第だぜ。後悔しまくっちまえ。面白きことは良きことなり、それを諦めんなよって感じよ。

 

もっと偉くなってからそんな大口叩けって?申し訳ねぇ。

 

 

……

 

 

なんだかまたいつも通りふわりふわりとまとまらなくなりそうなので、このへんで感情論に流された偏屈は終わりにします。

 

最後に誤解がないように、私は写真が大好きです。自分が撮った友人知人たちの写真を見てニヤニヤしてしまうのは止められないです。あの頃は楽しかったな。

 

今もそれなりに楽しいよ。

 

又後程。