パラレル述ベル。

取り留めのない事象を、徒然なるままに。

東海道中爹兒塗。完歩してみてどうなったん。無事拗れました。

 

 

おはこんばんにちわ。

 

散歩の素人、述べたです。

 

タイトル通り、2024年4月14日に無事、京都の三条大橋に到着し、4月15日現在、出町柳の喫茶店で一服カマしている最中です。

 

日本橋を2024年4月1日に出発して、ちょうど2週間かけ完歩しました。東海道とはいえ若干正規ルートを外れてしまった部分もある為、完歩というべきか迷いましたが、まぁ東京~京都間を歩き切ったという意味では変わりありません。大目に見てやってください。この足のボロボロ具合を見てください。皮も捲れ上がり、赤く腫れ上がり、汚なくて見せられたもんじゃありません。

 

…これじゃ大目に見れませんね。

 

 

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挨拶はこれくらいにして、今思う事を淡々と簡潔に小学生にもわかるように書き留めておきたいと考えておりますが、いかんせんひねくれ坊主です。一筋縄ではいきません。こんがらがった糸を解くのには苦労しますし、一度絡まって仕舞えば元に戻そうとしたところで縮れてクセがついたままで悪化するだけです。性根は現状維持が最善策です。対症療法です。お薬だけは出しておきますね。

 

一つ言えることは新幹線使ってください。移動するなら乗り物を使ってください。間違いありません。

 

え?そんなことわかりきってるって?一目瞭然だって?

 

いやいや、そうなんです。えぇ、わかってます。

自分も歩き始める前から知ってました。

 

ただ実際に歩いたからこそ、自分の言葉には説得力が増したのです。きっとそうに違いありません。身体の痛みも精神的な痛みもお財布の嘆きも身を持って味わったのですから。

それすらも個人の感覚や経済状況で変わりますが、自分の家族や友人にこの旅を薦められるかというと、首を縦には振れないのです。やめとけやめとけ、代わりに俺がやってくるから。誰も歩かねぇか。

 

断っておきますが、誰かに東海道を歩けと言われた訳ではありません。強制された訳でもありませんから。逃げ出した弱虫クンです。

 

しかし逃げ出したとは言っても、この旅の道中、誰かの助け無くして進むことすらままなりませんでした。

 

まず寝泊まりする場所です。屋根があり壁があり、お風呂もトイレもあり、ホテルだけでなくネットカフェも利用しましたがそういったもの全て含めです。目に見えるもので言えばホテルの従業員、清掃の従業員の方々もおりますが、布団のクリーニング業者さんもおれば、アメニティを届けてくれる業者さんもおります。他にも数え切れないほどの人々が見えないところにおりますでしょう。そもそも建築物自体も建てた人がおります。

 

あとはご飯に飲み物にその他諸々。コンビニからスーパー、ドラッグストア、レストランに喫茶店、利用した全ての店舗にも従業員、仕入れ業者に配送業者、製造業者もおるわけです。元を辿れば農業、漁業、畜産業やら国内のみならず海外もあるわけです。

 

今夜利用する夜行バスも、バスの運転手にその運転手を配属する管理会社。乗っていくバスの製造には自分の知りもしない部品会社に、バスのご飯であるガソリンの給油、その輸送経路。

 

そんなこと言い始めたら、高速道路は勿論、歩いてきた道を整備してきた人々、自宅の最寄りまで電車も使うのですから電車から線路まで多岐に渡り過ぎてきっと上げきれません。

 

さも当然のように着ている上着にtシャツ、靴やパンツやらの服装品はどうでしょう。製造もそうですし、一部では羊さんたちが丸裸になってくれているわけです。

 

今手に持っているスマホやパソコンも誰かが開発し作っているわけですね。ナビアプリが無ければ、文字通り路頭に迷うわけです。現代においてネットワークが我々を絡め取り、他意はありませんが縛り付けているわけです。

 

そしてこの旅において、歩き見てきた街を作り上げ整備すること、昔からの街の姿や自然を保存し残してくれている地域の努力も忘れてはなりません。どこまで行っても同じ建物に同じ景色しか続いていないのだとしたら、散歩しようが旅をしようが胸踊らない訳です。

 

忘れかけていて追加しますが、電気ガス水道という、大好きな電柱や鉄塔たちも関わっているライフラインです。電線から水道・ガス菅、通す作業からエネルギーを作り出す工程もひっくるめて、おんぶに抱っこしてもらってますからね。

 

今回は幸いにも病院には担ぎ込まれてないわけですが、医療という分野は健康な身体を維持し、健全なお散歩をして生の悦びを味わう上で欠かせません。発展していなければ自分が生存していたのか怪しいものです。いずれはそこらじゅうに死体が転がり、火葬が間に合いません。

 

燻らせ押し潰してきた煙草も作っていただいているのですから、一吸一吸有り難みが肺に染み渡り黒くシミになっていきます。

 

そして、つらつらと出まかせに語るこの拙い言葉も、生きていく為の知識や術も、当たり前に動く心臓や脳ミソに筋肉と骨格に関節の機構、自分を構成する60兆個の細胞たちと、共生する100兆個の菌類たち。むかーしむかし、宇宙が爆誕したように、ひいては生命の誕生から多種多様で雑多なご先祖様たちが脈々と受け継いできた膨大な時間が作り上げてきたモノに他なりません。

 

これを奇跡と言われるとなんだか、偉大なことを成し遂げて人類にも宇宙にも貢献しなきゃならんのか?ってなるんで、生まれたこともこれまでに起こったことも全ての事柄は、偶然てことで片付けたほうが気楽になれます。

 

ここまで長々と語っておいて、随分と簡単にまとめてくれたではないですか。

 

冒頭にも述べた通り、端からそのつもりでしたからね。なんてこれもたまたまです。いつだって行き当たりばったり。

 

 

 

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感傷に浸っているわけではありません。

 

いや、少々浸っているんですがね、現にそういう世界の中で生きているのですねってことです、えぇ。

 

もし社会に不適合だったとして出て行くというのなら、それは死を意味するのかもしれません。まぁ身体が燃やされるなり埋められるなり喰われるなり分解されても、何かしらは誰かの栄養となり経験となり知識となり、良くも悪くも現生と後世に引き継がれていってしまうので逃れられませんね。生まれ落ちて存在してしまった以上、私も貴方も明るい言葉で例えれば、どうしたって仲間なのです。万歳万歳!めでたしめでたし!ハッピーエンドでエンドロール!この人生という映画に携わってくれた、全ての人、生物、物質、宇宙と神に感謝して!今夜は宴じゃ!

 

 

 

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そうは問屋が卸さない。

 

綺麗事で片付けてくれるなら、安寧安泰を今すぐポストに投函しておいてくれ。

 

 

「1兆円の小切手をくれるだけで良いんです。」

 

……

 

「ダメですか。」

 

……

 

「じゃあ1億円でどうでしょう。」

 

 

これがドア・イン・ザ・フェイスです。心理テクニックですよ、皆さん。心理学科を卒業した私の精一杯の助言です。今になって、勉学の大事さ面白さに気付くのです。もっと真面目にやっておくべきだった。おそいおそい。

 

口酸っぱく自分に言い聞かせてきた、人間社会を生きていく上で欠かせないアイテムが、“カネ”です。何度コイツに甘やかされ、泣かされ、突き放され、振り回されてきたことか。

でも、私の足りない頭で考える上では、これほどわかりやすく、そして使いやすい方法は思い付きません。何かをしてあげたら対価として貰い、逆に何かをしてもらったら対価として支払う。お気持ちの問題じゃ生活していけませんからね。それじゃ第一次産業者が泣き寝入りじゃないですか。みんなで米を作る他無いじゃないですか。日本の米は世界一。本当にありがとうございます。

 

つまりは、金を稼ぐ又は使うだけでも良いのです。無職だろうがニートだろうが引きこもりだろうが、その裏での例えば一緒に暮らす家族の思惑だとかは一旦置いておくとして(そこはそれぞれの家庭の事情です。家族が許せば何の問題があるのでしょう)、飯食って寝て排泄してネット使って電気使って、そこには金が流れ出て回っておるのです。そのお金を貰った人は今日も飯にありつけるのですから、生きているだけで誰かの助けになっておりますから。

 

まぁ上記は一例です。もっと複雑なのもあるでしょうし、給与の多い少ないはいつまで経っても解決しないようにさえ思いますが、そこら辺は前回も申しましたが、民主主義上甘んじて受け入れる他ないのかもしれません。

 

いつだって主語が大きくなるほど政治的な発言ぽくなったり、争いの火種になったりして嫌です。自分が馬鹿なのは重々承知ですが、もっと阿呆に暮らしていたいのです。木漏れ日の美しさに酔いしれたり、風が心地良くて走り出したくなったり、子どもがはしゃいでるのを見てホッコリしたり。

 

自分の経験談で言えば、バンドで曲を合わせてecstasy、1人でだって楽器を弾き始めてしまうと止められないecstasy、イラストを描いて完成させた達成感でecstasy、誰かの為に描いたならその人が喜んでくれた気持ちでecstasy、夜中に散歩しながら食う百何十円の惣菜パンの美味さでecstasy、ついでに散歩のお供にエモい音楽聴きながら歩くだけでecstasy、そんなしょうもないことでも幸せを感じられる安い、もといコスパに優れた人間なのです。

 

 

 

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争いや競争が昔っから大嫌いな訳で、他人の強い言葉や口調、行動にもビクビクして泣けてきてしまいそうになることも少なくありません。よわっちぃ。

 

弱さを知った上で逃げ出してきたのですから、生存本能は上手く作用しています。大事なのはその後です。

 

若干ではありますが、ちょびっとではありますが、この旅において得られたものとして、自分に取って大事なモノが何か、見つめ直すキッカケになった気がします。そういうことにしておきます。でないとここまで歩き通した私の身体が浮かばれない。頑張ったね、よぉしよぉし。帰ったらまたお散歩しようね。

 

 

 

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フラフラと宛もなく彷徨いながら書き連ねていたら、旅の終着点である三条大橋まで戻ってきていました。

 

自分探しの旅って呼び方はちょっとキザっぽくてで個人的に好きくないので、やっぱり逃避行ってことで締め括ろうと思います。

 

平常通り、長々と、駄文を失礼致しました。

読んで下さり有り難う御座います。

 

まだバスの出発時刻まで時間があるので、好きなラーメン屋さんに行って、さっと銭湯でも入ってこようかと思います。

 

皆様もどうか健やかに、日々をお送り下さい。

ついでにお散歩もして下さい。

 

 

 

再見。adiós。